第十七話「鼻の下に道がある」

 

 近ごろ私がはまっているのは映画『男はつらいよ』です。昨年の暮れふと見たくなり、すっかり惹き込まれてしまいました。寅次郎の語りの面白さ、旅先の風景の美しさ、多くの人々に愛されただけのことはあります。

 何作目だったか忘れましたが、寅次郎の台詞のなかに「おっぺす」という言葉が出てきます。関東周辺、特に千葉や茨城で使われていた方言で「押す」という意味です。房総半島の九十九里浜では、地引網漁の船を浜から押し出す作業を「オッペシ」といい、これに携わる女性たちのことも同じ言葉で呼びました。

 私がこの言葉に耳を止めたのは、母が使っていたからです。母の家は東京でも千葉に近い葛飾区の堀切菖蒲園、寅次郎が生まれ育った柴又の近くです。父は母と同世代ですがこの言葉を知らず、「それ、千葉の方の言葉だろう」といって笑っていました。父の家は品川区の大井水神町、神奈川に近い江戸のはずれ、刑場のあった鈴ヶ森のそばです。二人とも下町育ちですが、東京の東と西とでは使う言葉が違ったのでしょう。そういえば、父しか使わない言葉もありました。たとえば「ゴトッパナ」です。これは鼻水のことですが水っぱなではなく、思い切りかまないと出てこないような、ずるずるした青っぱなを指して使うらしいのです。神奈川や静岡あたりで使われた言い方のようですが、「そんな言葉知らない」と、これには母が笑っていました。

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 聞き取り調査に出かけると、相手の話のなかに聞き慣れない言葉や独特の言い回しが出てくることがあります。そんなときは慌ててメモをとりますが、それがその土地の言葉かどうか、判断するのは実は容易ではありません。移り住んできた人であれば、元の土地の言葉かもしれません。移ってきたのが親や祖父母の代であっても、そうした可能性は残ります。他にもたとえば、その人が仕事のなかで使ってきた言葉が会話に出てくることもあります。地場産業的な仕事であればいいのですが、そうでなければやはりその土地の言葉とは言い難いものがあります。

 過去に住んだ土地の言葉。仕事のなかで身に付いた言葉。学校や本で学んだ言葉。一人の人間のなかには、出自の異なる言葉が層をなして積もっています。ある地域の調査報告書を作る場合、その中からその土地独自のものをより分けて記述していきますが、その結果、聞き取った情報の何割かは振るい落とすことになります。しかし、それらのなかにも興味深い事例は少なくありません。

 神奈川県川崎市のある家で聞取りをしたとき、こんな言葉を聞きました。節分の豆を焙烙で炒るときナスのカラ(乾燥させた茎のこと)と菊のカラ、それから樫の木の枝を燃やし、次のように唱えたといいます。

 「借金なすから

  良いこと聞くから

  金の貸しができるように」

そして翌朝、炒った豆を家族の人数分だけ取り、「この豆の芽が出るまで家族が目を患わないように」と言って井戸に投げ入れたというのです。決して芽を出すことのない炒り豆を使うことで、眼病を避けようとするまじないです。しかし、これは話してくださった大正9年生まれのご婦人が横浜の実家でやっていたことで、嫁に来た川崎では聞いたことがないといいます。すなわち調査報告書を出すとしても、この地区の言葉として紹介することはできないのです。

 同じ方がこんな言葉も教えてくれました。

 「鼻の下に道がある」

これは鼻と唇のあいだにある溝(「鼻溝」「人中」といいます)にちなんだ言葉で、道がわからなければ口で尋ねろという意味だそうです。何も持っていなくても、きちんと挨拶できて、いろんな人に教わりながらやっていけばなんとかなる、そんなニュアンスがあったようです。しかし、このときはそれ以上質問しなかったので、これがどこの言葉なのか、今となってははっきりしたことはわかりません。

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 母が死んで戸籍を取り寄せたところ、母の母、つまり私の祖母は富山の人でした。風の盆で知られる越中八尾のそばです。自分には関東の血しか流れていないと思っていましたが、そうではなかったのです。私の言葉のなかに、あるいは雪深い北陸の言葉が溶け込んでいるかもしれない。そう考えるとある種の感慨と、自分の根元をやっと見つけたような、不思議な安心感が湧いてきます。


※写真は民家園で行っている節分の展示(旧北村家住宅)