第十九話「おしずかに」

 民家園にはさまざまな電話がかかってきます。昔の家のことが知りたいという、自由研究の手伝いらしきお母さんからの電話。外国の要人を案内したいという市役所からの電話。時代劇のロケに使えないかという番組制作会社からの電話。最近はコスプレの撮影会をやらせてくれという電話まであります(ちなみに時代劇やコスプレはお断りしています)。

 そんな中で、昔の家財道具があるから引き取ってほしいという電話が時折かかってきます。現在は収蔵スペースの関係で、移築民家に関係するものなど例外を除き収集はほぼ停止していますが、以前はこうした電話を受けると資料として有益なものがないか拝見にうかがいました。出かけるときはまず道具一式をそろえます。カメラ。巻尺。軍手とマスク(ほこりっぽいことが少なくありません)。テンバコと呼ばれる運搬用のコンテナ。梱包用の緩衝材。貴重なものを扱う際の白手袋。こうして向かう先はほとんどが建物の取り壊し前か、ご家族の亡くなった後です。逆に言えば、暮らしの中で溜まってしまった物と向き合うのは、そんな時だけなのでしょう。

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 川崎市北部の旧家を訪ねたのは、マンション建設のため蔵を取り壊すという時でした。江戸時代の地誌にも名を残す家で戦災にも遭っていません。こうした家には古いものが伝わっていることが多く、この蔵にも大量の古文書と贅沢な調度類、そして手鑑(てかがみ)と呼ばれる大型の折帖が残されていました。「手鑑」とは鑑賞を目的にさまざまな名筆を収録し、装丁したものです。この旧家の手鑑は伝聖武天皇筆の仏典断簡から始まり、弘法大師や織田信長まで300枚以上の古筆切を収めていました。中でも小野道風が書写した白氏文集の絹地切は後に直筆と鑑定されました。今どきの言葉でいえば「お宝」です。

 お宝といえば川崎市内でもこんなことがありました。これは私が関わったわけではありませんが、川崎市中央部の旧家から本物の「財宝」が出たことがあります。昔のたんすには隠し引き出しを持つものがありました。引き出しを抜いていくと一カ所だけ奥行の短いものがあり、その奥にもう一つ小さな引き出しが隠れているのです。中に入っているのは書付の類いやへその緒などのことが大半ですが、この旧家の隠し引き出しはずしりと重く、開けると本当に小判が出てきたそうです。しかもご家族は誰一人としてこのことを知らなかったのです。

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 旧家でもなく、お屋敷でもない家に出向くこともあります。川崎駅に近い、あるアパートに行った時のことです。亡くなったのは年老いた女性で、一人でお住まいだった様子でした。お子さんもいなかったのか電話をくださったのは縁者のご夫婦で、特に親しくしていた様子もありません。早急に部屋を空ける必要があったのか、役に立つものがあれば持って行ってくれといいます。狭い一室には、大きな仏壇が不釣り合いに置かれていました。通常の資料収集では仏壇まで手を付けることはないのですが、それも自由にしてくれといいます。そこで、一つ一つ引き出しを開けて確認していくことにしました。すると、ろうそくや小ぶりの眼鏡の他に、それこそ押し込んだように大量の護符が出てきたのです。いずれも「鬼字(きじ)」と呼ばれる「鬼」にさまざまな漢字を組み合わせた特殊な文字が記されていました。これは日蓮宗系の呪符で、貼り付けたり身に付けたりして使う通常の御札の他、「飲み符」といって薬のように飲んで使う御札も含まれていました。亡くなった女性がどのような方であったかわかりません。しかし、鬼の字に囲まれた一人暮らしの晩年を思うと、なにか凄絶なものを感じないわけにいきませんでした。

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 神奈川県清川村の岩澤家を訪ねた際、こんな言葉を教えていただきました。この地ではかつて、人と別れるとき「おしずかに」と言ったといいます。「気をつけておかえりください」という意味だといいます。調べてみるとこの言葉の分布域は意外に広く、去る人に対して使われた他、席を中座するときの挨拶として、残る人に対しても使われたようです。「しずか」は平穏で無事な状態を表し、自分が場を乱したことをわびるとともに、相手に落ち着きが戻ることを願ったのです。送る側も去る側もともに使ったのが興味深いところです。別れがそれだけ心乱すものだということを、互いに知っていたのでしょう。誰も住まなくなった実家を処分することになり、私はこのところ時折通って父と母の遺品を整理しています。お宝でもなく鬼の字も記されていないただの本でありノートでしかないのですが、何年たっても心は波立ち、まだしずかになる気配がありません。


※写真は移築前の岩澤家の縁側(昭和62年)