第二十二話「インデアンのふんどし」


 会話をしていて、同じ言葉をたまたま同時に口にすると、子どもたちは「ハッペお返しなし」と言って相手の手や肩を軽くたたきました。「ハッペ」は「ハッピーアイスクリーム」の略でしょう。この言葉はやはり同語を口にしたとき使うもので、先に言われたらアイスをおごらなければいけないというルールがありました。といっても実際におごるわけではなく、ただはやし立てるだけです。いずれも私が子どものころの遊びですが、娘に尋ねると驚いたことに、全く同じように「ハッピーアイスクリーム」を使ったといいます。40人のクラスなら計算上80人の親がいるわけで、そのうち誰かが子どもに伝えることで、おそらくは広まっていくのでしょう。

 今回は、こうした子どもたちの遊びのなかの言葉を取り上げてみることにします。

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 大人になると10まで数える機会などなくなってしまいますが、子どものころはかくれんぼなどでよく数えたものです。そんなとき、子どもたちがカウンター代わりに使ったのが10文字の言葉でした。最も知られているのは、おそらく「だるまさんがころんだ」でしょう。これはもちろん同名の遊びで使用されるものですが、それ以外の場面でもしばしば使われました。この他にも、私が子ども時代を過ごした神奈川県西部でよく使われた言葉がありました。「インデアンのふんどし」というものです。当時、私たちのクラスは「だるまさんがころんだ」派と「インデアンのふんどし」派が勢力を二分していました。この他「ぼんさんがへをこいた」とか「くるまんとんてんかん」というのを教えてくれた子がいましたが、実際に使う子はいませんでした。こうした言葉は10まで数えるときだけでなく、100まで数えるときにも使われました。すなわち「インデアンのふんどし」を10回繰り返すのです。早口言葉のようなもので、口にすること自体一つの遊びだったのでしょう。(「インデアン」という言葉は現在使用されませんが、ここでは1970年代の子ども風俗の記録としてこの言葉を使わせていただきました。)

 話は言葉からずれますが、クラスを二分するといえば、じゃんけんで何を出せば勝てるかという占いにも二つの「流派」がありました。(1)片方の掌を相手に向けて広げ、広げた手の甲をもう片方の人差し指で下から上に1センチほど押す。そこにできたしわの数で占う方法。(2)両腕を交差させて掌を合わせ、指を組む。そのまま内側に回して胸の前で回転させ、組み合わせた手を顔の高さまで持ってくる。そして、両手のあいだの隙間を小指側からのぞき込み、親指側の隙間の形で占う方法。言葉にすると複雑ですが、子どもたちは大事な勝負になるとこんな動作を繰り返し、グーチョキパーのどれを出すか決めていました。それぞれの占いに名前があったかもしれませんが、残念ながら記憶にありません。

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 言葉の話に戻りましょう。こんな言葉遊びをご存知でしょうか。全ての言葉を音節に分解し、その音節ごとに「バビブベボ」のうち同じ段の音を付け足すのです。たとえば「きのうドリフ見た?」は「きビのボうブどボりビふブみビたバ?」となります。面倒なことこの上ありませんが、小学校3、4年のころ一時大流行して、休み時間になると教室中で「バビブベボ」とやっていました。近年はこれを「バビ語」というようですが、元々は「挟詞(はさみことば)」とか「唐言(からこと)」といい、江戸時代に遊郭で流行した言葉遊びです。他人に聞かれてもわからないようにする隠語としても使われました。もっとも当時は「バビブベボ」ではなく、「カキクケコ」を挟むのが一般的だったようです。

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 柳田國男は子どもの遊びのなかに古い時代の儀礼や習俗を見出し、民俗学の研究対象としました。私も聞き取りに行くと、子どものころどんな遊びをしたか必ず聞くようにしています。一つ一つの事例は些細なものであっても、それをつないでいくと流行や地域性が見えてくることもあるからです。

 最後に一つ謎の遊びを紹介したいと思います。まず三輪車をひっくり返して地面に置きます。次に前輪のスポークの隙間に小石を入れます。そしてペダルを手で回し、カラカラと鳴らします。子どもたちはこれを「焼きいも屋さん」と呼び、喜んで回しました。なぜ焼きいも屋なのかはわかりません。分布は北海道から九州におよび、焼きいも屋が主流ですが、かき氷屋、ポン菓子屋、刃物の研ぎ屋などとする事例もあるようです。いつ始まったか、なぜ広まったのか、今のところはっきりしたことはわかりませんが、ここにも確かに一つの歴史が埋もれているはずです。