第二十四話「不義理をしなさい」

 家風、あるいは家訓という言葉があります。こうした言葉はよほどの旧家でなければ似合いませんが、どんなつましい家庭であってもそれぞれの空気や教えのようなものはあるでしょう。何を大事にするか。互いにどんなふうに声を掛け合うか。社会とどう間合いを取るか。好むと好まざるとに関わらず、子どもはそれを自然に受け継いでいくのです。

 私はこれまでいくつかの家で聞き取りをしてきました。民家園に移築されている家の多くが名主クラスのため、現在も比較的余裕のあるご家庭が多いのですが、同じような階層の家でも、雰囲気は随分違う場合があることに気付かされました。たとえば、家庭内での女性の地位にしても家によってかなりの違いがあります。ある大地主の家は、お金も人手もありましたが、女性たち、特にお嫁さんは膨大な家事を担っていました。朝は一番に起きてハタキをかけます。お姑さんは寝床でその音を聞いていて、音が悪ければやり直させます。庭の草むしりもお嫁さんの仕事です。ただむしるだけでなく、むしったあとは根を乾燥させ、土を全てふるい落とさなければなりません。庭の土が減るからです。日常の仕事、季節ごとの仕事、来客時の仕事、こうした家事に追われたのはお嫁さんだけではありません。子どもたちも男の子には特に役割はありませんでしたが、女の子は食事の支度をした他、廊下まで磨きました。学校へ行く前の時間にです。それが当たり前だったといいます。

 この家の話だけ聞くと、昔はそんなものと思うかもしれません。他にも、たとえば風呂に入るのは女性が最後だったという話はどこでも聞きます。洗濯物の干し場が男女別に分かれていた家もあります。しかし、こうしたいわゆる男尊女卑的な発想をしない家もありました。千葉県九十九里浜の作田家は先程の家と同じく大地主でしたが、朝一番に起きるのはご当主でした。この家では当主自ら火をおこしてお茶を飲み、そして一人で仕事に出かけました。何歳になっても「嬢さま」と呼ばれたご当主の奥さんや、「若嬢さま」と呼ばれたお嫁さんが起きるのはその後だったといいます。これが地域性によるものか、単に家庭の在り方の違いなのか、調査を重ねないとわかりませんが、こうした基本的な考え方でさえ家によってかなり違うのです。そうしたものの重なり合いが家風を生み、家訓を作り、おそらくその家で育つ者の気配までも決めていくのではないでしょうか。

   *

 私事ですが、少し前に実家を手放しました。母が死んだあと何年も空き家になっていた家です。その間、遺品の整理どころか掃除さえもしませんでした。なきがらを横たえた布団も、仮祭壇の白木の経机も、花瓶に供えた菊の花さえ、実は片付けないままでした。仕事の多忙は言い訳で、結局目を背け続けて、その死に向き合うことが出来なかったのです。

 この年月のあいだには東日本大震災もありました。その時も、様子を見に行かなければという思いだけ抱えてそれでも足が向かず、ようやく訪れたのは一年も経ってからでした。家具が倒れているのではないか、書棚の本が散乱しているのではないか、そう危ぶみながらドアを開けるとひっそりとした空気が流れています。何か不思議な思いがして上がってみると、家具はもちろん、背の高い書棚が並んでいるのにただ一冊の本も倒れてはいませんでした。

 そんなふうに、最後は放りっぱなしの家でしたが、いざ更地にしてしまうとその喪失感はやはり深いものがありました。自分にはもう立ち帰る場所がないという思いが胸の底に広がり、今も消えることがありません。それでも自分に残っているものがあるとすれば、他愛のない思い出と、家訓というにはささやか過ぎますが、両親が何かの折に口にしたいくつかの言葉だけなのかもしれません。

「不義理をしなさい」

これは私が母から言われた言葉です。生きているといろんな義理が付いてくる。しかしそうした義理を欠いてでも、必要なら自分の体調を優先しなさい。そんな意味です。もともとは母の母、私の祖母の言葉だといいます。姑と病気がちな息子を抱えて苦労していたとき、このように言われたそうです。当の息子はこの言葉をいいことに不義理を繰り返し、ひどく身勝手な大人になってしまいましたが、もしこの言葉がなかったらどこかで無理を重ね、倒れていたかもしれません。祖母が母を守ろうとしたように、母は私を守ろうとしたのです。言葉は無力なものです。しかし時として、世代も時代も超え、一つの言葉が誰かを守ることもあるのです。

 

※写真は移築前の作田家(昭和43年)

 

 ---------------------------------------------

 ここまで更新してきた拙文は、月刊誌『詩人会議』に2年間(2014年1月号~2015年12月号)にわたって連載させていただいたエッセイを元に、文体と内容の一部に手を加えたものです。転載に当たっては編集部のご快諾をいただきました。次回からは(大げさに言えば)書き下ろしとなりますが、引き続き印象深い言葉を中心に民家園のこぼれ話をご紹介する予定です。