第二十五話「どうか供養して下さい」


 今回は民家園でもほとんど知る人のない話を書いてみたいと思います。文字通りのこぼれ話です。
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 平成20年、古民家の半解体修理工事中、床下からセロファンに包まれた二枚の写真が見つかりました。一枚は建物の前に立つ若い女性。もう一枚は砂浜に座る上半身裸の男性。裏を返すと、女性の写真には次のように記されていました。 

 ×××子27才 49年2月6日上野死亡
 強盗に殺ましたかわいそうな娘です どうか供養して下さい ×子は、古い家、神社、佛閣、まいり大好な子です
 昭和38年1月4日 家の前(伏字以外の表記は原文通り)

 写真の説明と思われる最後の一行は鉛筆で、あとは万年筆で記されています。筆跡も異なるようです。
 来園者として訪れた人が置いていったのでしょう。床下ということで、おそらく何十年ものあいだ人目に触れなかったわけです。当時、私たちスタッフはいろいろ話し合いました。お寺に持っていって供養してもらおうという人。囲炉裏でお焚き上げすればいいという人。しかし、私はどれも少し違うように思い、封筒に入れ、机の引出し深くしまい込んでしまいました。
 私はそのまま長いこと忘れていましたが、先日何かの用事で図書館を訪れ、たまたま新聞の縮刷版が並ぶ棚の前を通ったとき、ふとこの写真のことを思い出しました。当時の新聞を見てみようと思ったのです。
 縮刷版をめくると簡単に見つかりました。地方版の片隅に掲載される程度の事件かと思っていましたが、そうではなかったのです。
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 昭和49年2月7日昼前、国鉄上野駅にほど近い家を一人の男性が訪れました。男性はこの家の親族で、朝から何度電話しても応答がないことを不審に思い、訪ねてきたのです。男性は二階の八畳間で人が死んでいるのを見つけました。ベッドの上には主人が、その足元には主人の妻が。さらに、同じ部屋に息子と元従業員が。そして、中三階の六畳間には息子の妻が。
 現場には犯人の遺留品がありました。血まみれの背広の上下です。ズボンには名前が入っており、翌8日には主犯Tが、11日には共犯Kが特定され、同日にK、翌月3月8日にTも逮捕されました。
 この一家は消火器の販売店を営んでいました。主犯Tとその父はセールスを請け負っていましたが、販売店が直接営業するようになり仕事を失いました。それに対する恨みがTの犯行動機です。KはTに声をかけられ金目的で犯行に加わりましたが、仕事先の工事現場で言葉をかわすだけの間柄だったといいます。2人はともに死刑判決を受け、昭和61年5月20日に執行されました。
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 この事件は現在「上野消火器商一家殺人事件」として知られています。写真の女性は中三階で被害に遭った息子の妻でした。当時のことなので、新聞には名前の他、顔写真や家の番地まで掲載されていますが、ここでは「T子さん」としておきましょう。T子さんが一人だけ別の階で亡くなっていたのは、ちょうど洗濯物を干そうとしているとき襲われたからだと考えられています。
 これで事件のことはわかりました。しかし、私の手元にはなお二つの疑問が残りました。一つ、もう一枚の写真に写る若い男性は誰なのか。二つ、写真を持って民家園を訪れたのは誰なのか。新聞を読み返しても、事件について書かれたものを読んでも、それらしい人物は浮かんできません。
 私はまず、写真の男性と民家園を訪れた人を別人と考えてみました。その男性も被害者の一人とすれば辻褄は合いますが、被害者ならその人のことも裏に記されてしかるべきです。そして被害者を除くと、他の男性の写真を一緒に入れる理由は見当たりません。
 次に、写真の男性と民家園を訪れた人を同一人物と考えてみました。写真裏の文面には「娘」「子」という言葉が使われていますので、父親と考えるのは自然でしょう。しかし腑に落ちません。もし父親なら、娘と二人で写っている写真を選ぶのではないでしょうか。親子別々の、それも自分の若い頃の写真をあえて使うとは思えません。
 「娘」「子」、この言葉は父親以外でも使います。伯(叔)父、従兄、その他親戚。身内でなくとも同い年以上の親しい人なら使うことがあります。ただ、既婚者を娘や子とは呼びませんので、親戚以外なら若い頃、あるいは子どもの頃から知っている人に限られるでしょう。同級生や幼なじみといった人物です。
 ここであらためて写真を見てみます。「昭和38年1月4日 家の前」と記されていたことはすでに書きました。昭和49年に亡くなったときT子さんは27歳でしたので、16歳のときの写真ということになります。また、これまで触れませんでしたが、T子さんの名前が旧姓で記されていることも重要です。結婚前のことをよく知る人として間違いありません。
 こうした中で、では亡くなった人の写真を自分の写真とともに納め歩くのはどんな人でしょうか。ここから先は想像するしかありません。ただ、その人がT子さんに深い思いを持っていたこと、それは確かなように思います。T子さんが大好きだった古い家のある場所を訪れ、その人はT子さんだけでなく、自分の中にある思いも供養しようとしたのではないでしょうか。
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 最後に供養について書いておかねばなりません。写真には「どうか供養して下さい」と書いてありました。しかし、学芸員がお経を唱えるわけにもいきませんし、写真を置いていった人がそれを望んだわけでもないでしょう。博物館の役割は記録することです。誰かが遺したものを、保存し、記録すること。忘却から守ること。こうした行為の中に、あるいは供養につながるものもあるのかもしれません。
 この話を書き残す理由です。