第二十八話「あんなとこ電気ついてたことねえのにな」


  民家とは少し話がずれますが、今回は山の獣たち、特に私たちの暮らしと関わりの深かった狐と狼の話を紹介したいと思います。

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 聞き取りをして、何か不思議な話をご存じありませんかと問うと、必ずといっていいほど出てくるのが狐に化かされた話です。


 姑さんのおじいさんが狐に騙された。ある夜遅く、生ものをさげて帰ってきたところ、女の人が手ぬぐいをかぶり田植えをしている。酔っ払っていたおじいさんは色の白いきれいな人に手招きされ、田んぼにバシャバシャ入って行った。しかし、行けども行けども同じところを歩くばかり。翌朝くたくたになってはっと気づくと、持っていたものは全部取られ、血だらけの足で墓地を歩いていた。あとで見たら、墓地の中はおじいさんの足跡でいっぱいだった。(川崎市宮前区)


 もう一つよく聞くのが狐火の話です。


 おじいさんの弟がジャランボ(火の用心の夜回り)をしていた。ポケットに饅頭を入れていたら、狐が来て付いてくる。見ると吐く息が光っており、狐火とはこれのことかと思った。狐は饅頭をやったら行ってしまった。(川崎市川崎区)


 渡船場からの帰り、あんなとこ電気ついてたことねえのにな、と思ったら、むこうにざあーっと電気がついた。50mくらい。こりゃ珍しいことあるもんだって見てたら、それがぱっと消え、その先にまた50mくらいぱーっとついた。遠くにつくときは近くにいるので蹴っ飛ばせば狐どっか行っちまうって言うが、まあ蹴ったってしょうがねえから、そのまますすっと帰ってきた。(川崎市多摩区)


 子どもの頃、手で狐の頭をかたどり、コンコンと言いながら影絵遊びをした人は少なくないでしょう。また、晴れているのにぱらぱらと降りかかる雨を「狐の嫁入り」と呼んだ人も少なくないでしょう。ではなぜ、狐はこのように身近なものとなったのでしょうか。その理由の一つがお稲荷さん、すなわち稲荷神社です。この神社と狐の結び付きについては諸説ありますが、穀物を食い荒らす鼠を食べること、尻尾の形や色が稲穂に似ていることから、農業神である稲荷の使いとして扱われるようになり、やがて一体化していったようです。それがさらに五穀豊穣だけでなく商売繁盛、家内安全の神となって信仰が広がり、特に江戸では「伊勢屋、稲荷に犬の糞」と言われるほど至る所で目にするようになりました。今でも大小の神社はもちろん、屋敷神として家に祭る例は少なくありません。

 狐の興味深いところは、神となってもどこか獣としての生々しさを残していることです。祠に祭られた石や瀬戸物の狐をよく見れば、その顔立ちが少々恐ろしいことに気づくかもしれません。次の話はお稲荷さんのそんな気配をよく伝えています。


 父の実家にはお稲荷さんの祠があった。周囲をきれいに掃いておくと、ここに狐の足跡がついた。この狐が憑いて狐憑きになった人もいたらしい。(東京都品川区)


 狐憑きという言葉は今では耳にする機会もなくなりました。しかしかつては珍しいものではなく、こんな症状が現れると狐が疑われることになりました。


 激しく運動し、飛び上がったりする。狐が落ちると我に帰ったようになる。(東京都青梅市)


 取り憑かれるとべらべらしゃべって元気になるが、落ちると静かになり、体の弱っている人は体力を消耗して死んでしまう。(静岡県静岡市)


 現代ならおそらく、メンタルの失調として医学の治療対象となるでしょう。しかし高度成長期以前、昭和20年代くらいまでは悪いものに取り憑かれたと考え、呪術的対応のとられることが少なくありませんでした。そして、取り憑くものとして最も多かったのが狐だったのです。

 狐落としの呪符や呪法にはさまざまなものがあります。その際、しばしば活用されたのが狼の力でした。狼は狐より強いものと信じられていたからです。

 東京都青梅市に御岳山という山があります。この山に祭られている武蔵御嶽神社はかつて狐落としの霊験で知られていました。祭神の一柱である日本武尊がこの地を訪れた際、狼が山道を案内したと伝えられ、そのことから大口真神(おおくちまがみ)として境内に祠も設けられているのです。この神社で授与される狼をかたどった護符は「オイヌサマ」と呼ばれています。魔除け、盗難除けの御守として門口や倉の戸に貼られる他、かつては狐落としのため憑かれた人の家族に貸し出すこともありました。分霊として行われたため、木箱に納めたこの護符は一枚あるいは一箱ではなく、「一匹」と数えたそうです。

 護符だけで狐が落ちない場合は祈祷も行いました。御嶽神社で行われていたのは蟇目(ひきめ)という祈祷法です。蟇目とは、もともと一種の音響装置を指す言葉で鏑(かぶら)ともいいます。これを取り付けた鏑矢はその音が魔を払うとしてしばしば神事で使われてきました。この神社では狐に憑かれた人が家族に連れられて来ると、深夜滝に打たせたあと、蝋燭の明かり一つが灯る拝殿の中央に座らせました。そして祝詞を上げ、矢尻で突いたり、鏑矢を射かけたりという神事を3、4時間にわたり続けました。狼の骨を削って飲ませたという話も伝わっています。

 こうした狐落としの呪法は、神社や寺院の他、個人の家に伝わるものもありました。

 東京から静岡にかけての山あいには、狼の頭骨を伝える家があります。御嶽神社と同じ青梅市の旧家には、神棚の札箱のなかに頭骨が納められています。狐に憑かれた人が出ると、一緒に伝わる数珠やお札の版木とともに貸し出したそうです。神奈川県秦野市の旧家には、オオカミサンと呼ばれる頭骨が神棚に祭られています。やはり狐に憑かれた人の家族が借りにきて、枕元に置き、狐が落ちると油揚げや日本酒を持ってお礼に来たそうです。静岡県静岡市の旧家の戸口には、頭骨を納めた札箱が魔除けとして取り付けられています。また、近くの家には同じ狼のものという皮が伝えられています。いずれも狐に憑かれたというと貸し出していました。皮の方は憑かれた人の布団の下に敷いたそうです。

 秦野の家と静岡の家には狼を捕らえたときのことも言い伝えとして残っていました。静岡の家のご当主によると、皮に残る穴は仕留めた折の弾丸の跡だそうです。日本にはかつてニホンオオカミとエゾオオカミが生息していました。しかし、いずれも明治時代に捕獲例が絶え、絶滅したとされています。それでも、現在に至るまでたびたび目撃証言が報告されるのは、狼がなお私たちの隣で生き続けているからかもしれません。

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 私たちは犬や猫を愛し、暮らしを共にしてきました。牛や馬、山羊や羊など、家畜と呼ばれる動物たちを飼い、暮らしに役立ててきました。しかし、それらに対する親しみとは異なり、山に棲む獣たちにはどこか、人の世の外にある存在として恐怖と畏敬の念を抱いてきたように思います。ここに紹介した言い伝えや信仰は、私たちが祖先から受け継いできたそうした思いが生み出したものでしょう。

 近年、狼はもちろん狐の話もとんと聞かなくなりました。かわってしきりに耳にするのが熊のことです。ニュースは熊の被害をたびたび報じ、かつて冬は冬眠するものであったのに、近頃は冬眠もせず里に降りてくる熊が増えたことも伝えています。こうした報道を聞くと、私にはどうも山の主が野生への畏敬の念を取り戻させるため出てきたような、そんな気がしてならないのです。