第二十九話「建物がバチンって鳴るんです」


  神奈川県川崎市に新明国上教会という宗教団体があります。かつては駅ができるほど参拝客を集め、宿坊などが立ち並び門前町を形成していました。最近、そうした古い建物を見学させていただく機会があり、あわせて若手の教師(教会の神職)の方にお話もうかがうことができました。はじめに紹介するのはその折に聞いた言葉です。


「教会の建物とは不思議なもので、先生方が話、言念道(信者に向けた講話)をしていると建物がバチンって鳴るんです。これは言っていい話だとかいけない話だとか、それをバチンっと鳴った音で確かめました。昔のおや様(教祖)の場合、その音が家が振動するぐらいすごかったそうです。自分が話す内容だとピチッピチッという程度ですが。板の表面が太陽光で縮んだり伸びたりするときの音なのかもしれませんが、話をしたときに音がすると、自分では『ああ、良い話をしたのかもしれない』と受け取っています。」


 昔の木造住宅はさまざまな音が聞こえたように思います。音の大半は温湿度変化による木材の軋みでしょうが、子どもの頃、一人で留守番をしていてそうした音を聞くと、肝の冷える思いがしたのを覚えています。

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 家の音といえば、日本民家園に移築されている旧工藤家住宅(旧所在地・岩手県紫波郡紫波町)にこんな話が伝わっています。


「いましたよ。いました。ここに、ここにね、このへんにあの、子ども走ってる音がするんですよ。あの、三歳か四歳ぐらいの子どもが。(中略)じっと耳を澄ましていると、昔の蓄音機があったんだけど、ひとりでに蓄音機が動いたりさあ。で、タンタンタンタンと走って歩く子どもの音が聞こえたりして、あれは絶対ザシキワラシだね。(中略)いたずらしたりするとザシキに閉じ込めるぞなんて脅かされたこともあるんだけど、そういうときに何回か確かに聞いたね。いやもっと下だ。小学校のころだ。ただザシキワラシって、悪いもんじゃないって聞いてたからさ。そう怖いとは思わなかったけどな。」

(『日本民家園収蔵品目録11 旧工藤家住宅』61頁)


 工藤家の方が教えてくれた座敷童子の出る場所とは、普段出入りすることのない暗い物置でした。古いひな人形などが保管されていたところです。

 昔の家にはこのような、家族も滅多に立ち入らない場所があったように思います。そうした空間の筆頭は、なんといっても屋根裏でしょう。屋根裏には木材の軋み以外にも音のする理由がありました。ネズミです。ことに茅葺きの場合、屋根裏に葺き替え用の茅を保管しておくことが多かったので、集まる数も少なくなかったようです。しかも、ネズミがいればそれを狙ってヘビが入り込みます。天井の隙間から落ちてきたヘビが寝床に入り込んでいた、そんなぞっとするような話もめずらしくはありませんでした。

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 子どもの頃、親の留守に弟と屋根裏を探検したことがあります。押入れから天袋に上がり、仕切りの板を持ち上げて懐中電灯で照らすと、明かりの先に真っ暗な空間が広がっていました。そのとき、暗闇に立つ柱の一本に、白い紙の付いた木の棒が縄で縛り付けてあるのが見えたのです。上棟式の御幣でした。無論、そのときに知っていたわけではありません。ただ子どもながら、自分たちが近寄るべきでない何か異なる気配を感じたのは確かです。

 屋根裏に何かを祭る例は少なくありません。建物の守護を祈願する棟札。男女の性器をかたどった火伏せの縁起物。日本民家園には古い護符を詰めた俵を屋根裏にのせていた家が二軒ありますが(旧作田家住宅、旧清宮家住宅)、これもまた木造住宅にとって何より恐ろしい火災を除けるための呪物でした。

 このように屋根裏の暗がりは、神霊が宿り、活動する場所と考えられていました。東北など一部の地域では先祖の霊が集う場所と考え、天井裏から物音がすると先祖が見守っていると考えたそうです。かつての私たちにとって、家の暗がりから聞こえてくる音は神霊の立てる音であり、畏怖の対象だったのです。

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 冒頭で紹介した話がなぜ心に残ったか。それは、建物の音に神性を聴く信仰が今なお生きていることに、あらためて気付かされたからです。私自身は屋根裏もないコンクリ長屋の暮らしが長くなってしまいましたが、木の家で暮らす子どもたちは今も、屋根裏から降る音に首をすくめているのかもしれません。


※写真は新明国上教会裏手の旧門前町。中央奥は神殿。(2002年6月撮影)